家族でも友人でもない人が「あなたの悲しみはなに?」と尋ねてくれる。私の幸せを願ってくれる。

Tさん 女性

Mariさんが私の話に集中し、レイキを通じて寄り添おうとしてくださるのが、zoomの画面からヒシヒシと伝わってくる。

そうしたら、私の中にある映像の事が口を突いてでた。

7歳くらいの、私でもあり、別人でもある女の子。
おはじきや人形遊びを一緒にした子だけど、私が成長するにつれ、その子を置き去りにした。


私が来るのを待っている。


「ねえねえ。。これ、おもしろいよ」

と声をかけてくるその子に、私は、

「あとでね」
「そうは    いかないんよ」

と言い続けた。


「もう黙ってて」

今では一人で遊んでいて、私が行っても振り向きもしない。
また私が去ってしまうのを知っているのだ。

ひと時も忘れた事などないのに、ずっとほったらかしにした。

Mariさんが、ゆっくり声をかけてくれる。

「ごめんね」
「手を繋いで一緒に外に出て遊ぼうよ」
「お外には、見せたい綺麗なものがいっぱいあるんよ」

そう言えた時、映像の続きができた。

結局、この子との遊びが自分の根底になっていると思います。

それは知っていても、この子の悲しみは自分自身の悲しみなので、近寄れなかったんだなあと思います。

すっかり凹んで力を無くしている自分自身なのだと。

あの子の姿がはっきり見えれば見えるほど、自分の悲しみの大きさを知る事になって、声がかけられなかった。

この子の側に行った時の私は、大人の今の私の姿でした。

世の中の「仕方ない」に抗えないコドモではなく、大人になった私。

分かっていたけれど、それらがしっかり感じられる、確信できたのはMariさんのお陰です。

一人ではできなかった。

Mariさんの真っ直ぐな気持ちが、させてくれたことです。心から感謝します。

この子の笑顔が見られるように生きればいいのかな。と思います。


家族でも    古くからの友人でもない人が    
「あなたの悲しみはなに?苦しみはなに?それはどこからくるの?」と尋ねてくれる。

私の幸せを願ってくれる。

Mariさん、ほんとうに    ありがとうございます。