01.ネガティブは自分へと繋がる鍵

「ポジティブ」よりも大切な「バランス」

多くの人が抱いている
「良/悪」や「善/悪」「ネガティブ/ポジティブ」のうち
「良」や「善」「ポジティブ」を良しとする世界


そこでは
「良いもの」は、あった方が喜ばしいもので
「悪いもの」は、あると都合が悪いもの


けれど本当は少しだけ違っていて
この世界は全ては バランスで成り立っている


だから、過度に「良」や「善」に偏る時
そこには、不自然さが生じ
少しだけ歪みが生じてしまう


「ポジティブ」なものは確かに
「プラスの方」多くの人が「良い」と捉える方へと
運んでくれる力がある


けれど、マイナスを置きざりにして
プラスにばかり進もうとすると

「こっちも気付いてよ!」

と言わんばかりに
自分との不和が生まれ
「揺り戻す力」が働いたりする


その「揺り戻す力」は

・心の違和感
・体の不調
・自信のなさ

そんな状態として現れたりする


そして、あまりにも長い間
自分の「ほんとうの想い」を置き去りにしていると


「ほんとうの自分は、何を望んでいるんだろう?」とか
「自分の心の声が、わからない」とか

そんな心の状態になって、現れたりもする

ネガティブは悪ではない

多くの人が抱えている

「ネガティブは良くないもの」という誤解

私はこれを解きたいと、心から思っている



よく

「ネガティブなことばかり考えてると良くない」
「ポジティブなことを考えましょう」

みたいなことを言うけれど

それは「真」なようで「真」ではないと、私は思う
(説明は長くなるので、また別の機会に)


ただ、言えることは

「自分の認識してる想い(顕在意識)」と
「ほんとうの想い(潜在意識)」にズレがあるとき

それは、自分の中で「不調和」となる



そこにある自分の「ほんとうの想い」をないものにして
その「不調和」をそのままにしている方が
よっぽど良くない状態だと、私は思う。


その人のほんとうの奥の方にある
「ネガティブ」と言われる記憶や想いは
実は、とてもとてもうつくしい


それは
「どうにかして、同じものを見てもらい 感じてもらえたら」
と、思ってしまうほどに


そして、ネガティブにはまた、
「自分と繋がる大切な鍵」が隠されていたりもする

自分軸は大きな樹


「ネガティブ」の大切さを思う時、 1本の大きな樹を想像してほしい


「ポジティブな感情」は


地上で、青々と茂る「葉」や
美しく咲き誇る「花」、
そして、豊かに実る「果実」だったりする


そういう地上の目に見える さまざまな「実り」


一方で、「ネガティブとも思える感情」は


地中に広がり
地上部を支える「根」に当たる


その自分の一部である大切な部分を置き去りにし
地上を伸ばすことにばかり意識が行くと

その樹はグラグラと不安定になり
自分軸は安定しない


例えば

周りの良い評価や賞賛により自分を安定させ
自分の負の部分に目を向けずにいると


例え外からは立派に見えても
どこかに不安定さを感じたり
評価に繋がることを必要以上に頑張り

深いところで疲れていたりもする

THE PHILOSOPHIA-ココロの教科書-

だから、

「ネガティブは悪ではない」と私は言いたい


もし今

どんなネガティブな想いを抱えていても
「こんな自分はダメだ」
と責めてしまっていても

「大丈夫」だと、私は言いたい



大切なのは、環境のせいにも
周りのせいにもせず

そこに向き合おうとする「勇気」や「意志」


そして、見たくない自分にもちゃんと目を向け
その感情があると認めてあげること



それさえできたら
その覚悟があれば

「絶対に大丈夫」だと、私は伝えたい


抱えているものが大きい場合は、
安心できる人やプロの力を借りた方がいい場合もある

抱えているものの大きさにより
「識る」だけでは
解決しないこともある

それでも

「識る」ことは

行く先が見えず不安な時、
行き先を照らす大切な一歩になってくれると

私は思う

だから

「ほんとうの自分を生きる」
その道標となるような
行き先を照らすような

「心についての知識」


自分のネガティブなものを受け入れ
「ほんとうの自分自身と繋がっていくこと」


「何があっても大丈夫」な
「何がなくても大丈夫」な

自分でいるための


そんな

「心のしくみ」
「心の在り方」

について

この
「THE PHILOSOPHIA-ココロの教科書-」を通し
少しずつ伝えていけたら


そんな風に思っている

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